聖堂案内シリーズその11


祭 壇






解  説


祭壇向かって左側


祭壇向かって右側

 世界平和記念聖堂の内陣には、どっしりとした黒大理石の祭壇が据えられています。
これは、ベルギーから広島に寄贈されたものです。
祭壇には、

「平和は犠牲の代償なり
      廣島へ  ベルギーより」と日本語で、また、
「PAIX EST LE PRIX DU SACRIFICE
      LA BELGIQUE A HIROSIMA」とフランス語で刻まれています。

「岩波国語辞典 第六版」によれば、「犠牲」とは、
  (1)一層重要な目的のために、自分の生命や大切なものをささげること。
  (2)天災など不測の災難によって生命を失うこと。
  ▽もと、神などを祭る時にささげる生き物。いけにえ。とあります。

 祭壇に刻まれた銘文の「犠牲」ということばを、(1)の意味で理解すると、平和をつくり出すために、自分の生命を犠牲としてささげるという意味になります。
(2)の意味で理解すると、戦争によって払われた多くの犠牲によって平和は作り上げられたという意味になります。
 
 「祭壇」は、ほとんどの宗教において、いけにえの祭儀が行われる中心的な場であり、カトリック教会では、主イエス・キリストの死と復活を記念する「聖体祭儀」(ミサ聖祭)が行われる場です。

 イエス・キリストは、「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」(マルコ9・45)と語られ、自分の命を全ての人々の救いのために身代金(代償)として献げました。
 また、イエス・キリストは、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネ12・24)と語られ、人々を生かすために自分を犠牲として献げました。

 このようなイエス・キリストの生き方と死を記念する「聖体祭儀」において、イエス自身がいけにえとして、祭壇で神に献げられます。 
「聖体祭儀」(ミサ聖祭)の祈りは、本質的に「平和を願う祈り」です。
「わたしたちの罪のゆるしとなるこのいけにえが、全世界の平和と救いのためになりますように」(第三奉献文)
「いつくしみ深い父よ、すべての悪からわたしたちを救い、現代に平和をお与えください」(主の祈り 副文)

 世界平和記念聖堂の「祭壇」で典礼が行われる度毎に、「聖堂記」に記されている「この聖堂を訪れ、ご覧になる全ての方々は、亡くなられた犠牲者の永遠の安息と人類相互の恒久の平和のためにお祈りください」という呼びかけが実行されています。

 「祭壇」は、世界平和記念聖堂の中心と言うことができます。世界平和記念聖堂の「祈る使命」が目に見えるかたちで中心的に果たされる場だからです。

 いよいよ1954年8月6日に献堂式を行うことになった。 
 ところが、その時に最後の大きな問題が起こった。ベルギーの恩人が、同国産の大理石で作らせて寄附して下さった本祭壇が、まだ届いていない!「これを載せた貨物船が遅れて、ようやく5日の朝、横浜についた。どんなに考えても、その祭壇を舟から降ろし、数々の事務的な手続きをふんで貨物列車に積みこむと、翌6日朝までに広島の駅に着くはずはない!
 運賃などの手続きのために4〜5日前から早々とシュワイツェル神父が横浜へ赴いていたが、この行きづまったときに神父は、当時、鉄道省の貨物部門を担当しておられた磯崎叡氏に相談した。幸いに、今日では想像もつかないほどの理解を受けたばかりでなく、奇跡とも思われるほどの結果をもたらした積極的な協力を得た。すなわち、貨物船が朝早く横浜港の埠頭に着くと、まず最初に広島行きの祭壇を降ろし、一切の手続きを省略してそこに待機していた貨車に積んだ。 しかし普通の貨物列車では間に合わないので、当時の東海道山陽線を走っていた唯一の特別急行(むろん旅客列車)に接続させた。このように磯崎氏がすべてをよく取り計らって下さったので、それは夜中に無事、広島駅に着いた。直ぐ後部の貨車は切りはずされ、貨物の祭壇はさっそくトラックに移されて教会まで運ばれた。教会に着くと待ちかまえていた建築会社の人々が、この大理石の祭壇の部分を組み合わせて、ようやく朝6時に全てを完成させた。こうして記念聖堂の献堂式は予定どおり、8月6日朝7時に始まった。

カトリック幟町教会会報 平和の鐘1998年6月1日第286号
世界平和記念聖堂への歩み(5) イエズス会H.チースリク神父より抜粋



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