聖堂案内シリーズその13


「十字架の道行き」

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解  説
 世界平和記念聖堂の平面形態は、中央部の身廊を挟んで、両側に各一列の側廊を有する三廊バジリカ形式です。
 身廊と側廊を区分する柱には、素焼きの陶板が飾られています。
 この陶板には、「十字架の道行き」がドイツのミュンスター市から広島市へ寄贈されたもので、ドイツ語と日本語で次のようなことばが刻まれています。

Wir beten dass die Volker der Erde durch Kreuz gemacht den Frieden finden.
                      Munster an hirosima

地上のもろもろの民が十字架に訓えられて平和を見出さんことを。
    ミュンステル市
  広島市へ

 「十字架の道行き」は、素朴な素焼きのレリーフで、身廊の壁面に飾られています。

 「十字架の道行き」は、キリスト教の信仰にとってもっとも深く大切な救い主イエス・キリストの受難と十字架の秘義を記念し観想するものです。
 イエスは、ローマ総督ピラトから死刑の判決を下され、十字架を担ってエルサレムの町を引きまわされ、城壁の外にあるゴルゴタの刑場まで連れていかれ、十字架上で息絶え、墓に葬られました。
 この一連の出来事と場面を「十字架の道行きの祈り」とする尊い習慣が生まれました。
 エルサレムでイエスが十字架を担って歩いたゴルゴタまでの順路に、それぞれの苦しみを記念し祈る場 STATIO(ラテン語)「留」を設け、徒歩で巡る巡礼も始まりました。
 その道は、VIA DOLOROSA(ヴィア・ドロローザ)「苦しみの道」と呼ばれ、現在も大勢の巡礼者が訪れます。
 エルサレムの「十字架の道行き」をモデルとして、聖堂の壁や修道院の庭などに、絵画や彫刻で「十字架の道行き」が設置されるようにもなりました。
 道行きの留の数は、時代と場所によってかなり異なっていたようですが、1458年と1462年に聖地を巡礼した英国人ウェイは「14留の黙想の場」があると記録しています。
 1731年、教皇クレメンス12世の勧告以降、留の数は14になり、各留で次のような場面を黙想することになりました。(世界平和記念聖堂の「十字架の道行き」の写真参照)

1.イエス、死刑の宣告を受ける 2.イエス、十字架を担わされる
3.イエス、初めて倒れる 4.イエス、母に会う
5.イエス、キレネのシモンの助力を受ける 6.イエス、ヴェロニカより布を受け取る
7.イエス、再び倒れる 8.イエス、エルサレムの婦人らを慰める
9.イエス、三度倒れる 10.イエス、布を剥がれる
11.イエス、十字架に釘付けされる 12.イエス、十字架に死す
13.イエス、十字架より下ろされる 14.イエス、墓に葬られる


 今日では、神学的・典礼的立場からイエスの受難と死と復活は切り離せない秘義であるととらえられるところから、最後に復活の場面が加えられるのが望ましいとされます。

 「イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。』」(ルカによる福音書24・45,46)

 ミュンスター市も広島市も戦争の惨禍という重い十字架を経験しました。十字架を背負って、二度と戦争を起してはならないことを学びました。

 「十字架の道行きの祈り」によって、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(ルカによる福音書9・23)とのイエスの呼びかけに答え、平和を創りだすために働く力が与えられますように。



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