平和の使徒推進室室長の部屋

「祈りの人・平和の人」ヨハネ・パウロ2世

 「今日、ローマのペトロの座に、ローマ人でない司教が登ります。ポーランドの息子である司教が。」(1978年10月22日、教皇就任式の演説)
 264代ローマ教皇に選出されたカロル・ボイチワ枢機卿は、455年ぶりのイタリア人ではない教皇で初のポーランド人でした。在位期間が2か月と極めて短かった前任者の名を受けヨハネ・パウロ2世と名乗りました。

 カロルは1920年5月18日、ポーランドの古都クラクフから50キロ離れた小さな町バドビツェで、カロルと同じ名前の父と母エミリア・カチョロフスカとの次男として生まれました。
 母は、カロルが9歳の時に亡くなり、兄のエドムンドは1932年に、退役軍人であった父は、第二次世界大戦の初め、1941年に他界しました。
 彼は自活することを余儀なくされて、石切り場で働き、その後、化学工場での労働で生活の糧を得ました。
 1939年、ポーランドに侵攻したナチスドイツの占領下、自らの生涯の選択を熟慮し、司祭への召命を感じ、クラクフの地下神学校で勉学を始めました。同じ頃、カロルは地下活動として行われていた「ラプソディー劇場」の俳優としても活動していました。

 故教皇と共に神学校時代を過ごした一人の友人は、当時のことを次のように語っています。
 「カロルはこの二人の聖人(十字架の聖ヨハネとアヴィラの聖テレジア)の本を、熱心に研究しはじめた。これは正にかれにとっては、新しい道の発見、開示であった。いわばカロルの生涯は、最初にして最終的に、全生涯を賭ける一つの冒険に乗り出したわけである。かれはいつも祈ってはいたが、今ではひっきりなしに祈る。これら霊的生活の巨匠が教える観想の祈りが、かれにどんなに大切だったかを、私はよく知っていた。かれはそれから深い感銘をうけ、カルメル会にでもかれははいるのかなと、私も思った。しかし、かれは司牧の方がむいているように思われてきた。それでもときどきかれは、演戯者・舞台監督になり偉大な宗教劇をめざすような気もした。」(M.マリンスキ著「ヨハネ・パウロU世(友人の語れるカロル・ウォイティワ伝)」小林珍雄訳、エンデルレ書店)

1946年11月1日、カロル・ボイチワは司祭に叙階されました。26歳の若さでした。

後に教皇ヨハネ・パウ2世になるカロル少年誕生の地の近くには、強制収容所が設置されたアウシュビッツがあります。教皇自身にもユダヤ人の友人も多く、収容所に送られた人もいたといわれています。自らも、ナチスの追及から隠れ、地下神学校で聖職者への道を歩み始めました。即位後、初の里帰りではアウシュビッツ収容所を訪れ、声を放って泣かれたそうです。

幼少期から青年時代までの家族をめぐる生活体験、ナチスによる母国ポーランドの占領とユダヤ人虐殺などの悲惨な戦争体験が、ヨハネ・パウロU世のそれ以後の生き方の核となり原動力となるものを培ったのです。祈りの人。信念の人。平和の人。
20世紀から21世紀にかけての時代の流れと歴史に真摯に向き合い、発言し、行動し
「空飛ぶ聖座」とも呼ばれた教皇を思い浮かべる時、特にこのことを心に留めておきたいと思います。

 1958年、教皇ピオ12世からクラクフの補佐司教に、1964年、教皇パウロ6世によりクラクフの大司教に任命され、1967年、枢機卿に親任されました。

 ヨハネ・パウロ2世の生き方を想うとき、もうひとつ大切なこととして挙げたいのは、第二バチカン公会議で「現代世界憲章」の起草に重大な役割を果たされたということです。

 「現代人の喜びと希望、悲しみと苦しみ、特に、貧しい人々とすべて苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、悲しみと苦しみでもある。真に人間的な事がらで、キリストの弟子たちの心に反響を呼び起こさないものは一つもない。」(第二バチカン公会議「現代世界憲章」1)

 この「現代世界憲章」の冒頭のことばは、神に召された教皇の生涯と思想の核心を象徴しています。

 1978年10月16日、ボイチワ枢機卿は、第264代教皇に選出され、1981年2月25日、人類史上最初の被爆地広島を訪問され、全世界に向って「平和アピール」を発表されました。
 平和記念資料館(原爆資料館)を見学した後、案内役の高橋昭博館長の求めに応じて、記念のことばをラテン語で書かれ、署名されました。

   “ Ego cogito cogitationes pacis, et non afflictionis “ dicit Dominus

これは、預言者エレミヤのことばの引用だと思われます。
  「(わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と)主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。(将来と希望を与えるものである)」
                         (エレミヤ書 29章11節)

 父なる神の「平和の計画」のために働くしもべとして選ばれ、生涯を懸けて使命を全うしたヨハネ・パウロ2世の永遠の安息を祈るとともに、わたしたちが教皇の遺志を継承し、「平和の使徒」として生きていく恵みと力が与えられるよう祈りましょう。


教皇ヨハネ・パウロUと三末司教
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