平和の使徒推進室室長の部屋

イスラエルーパレスチナー日本
             平和をつくる子ども交流プロジェクト Part2

 8月2日から8月7日まで、被爆60周年を記念する広島にイスラエルとパレスチナからの高校生を迎え「平和の旅」に同行しました。
 「イスラエル・パレスチナ・日本 平和をつくる子ども交流プロジェクト」が実現したのです。 (7月のPart1の欄を参照

 二年前広島を訪れ今回のプロジェクトを発案したイブラヒム・ファルタス神父は「私たちが広島に来たのは、戦争が何をもたらしたかを体験によって知るためです。原爆資料館を見学しましたが、多くの高校生たちは泣きました。この資料館の意味は『戦争を憎み、平和を愛する心を持つこと』だと思います」と語っています。

 いつ自爆テロに遭遇するかもしれない、いつ軍隊の報復攻撃にあうかもしれないという日常に暮らしている高校生たちにある種の迫力を感じました。
 初めてパレスチナ人と会話をした、今までイスラエル人と同席したことはなかったと話す若者たちが、しっかりと抱き合い友情を誓い合う合う姿は、やはり、心を打つものがありました。

 プロジェクトに参加した二人のことばを紹介します。

 一人はパレスチナ人の17歳の女性。
 2003年3月、家族で自動車で移動中、武装勢力と誤認されイスラエル軍の乱射をうけて妹は即死、両親と彼女は重傷。救急車でイスラエルの病院に運ばれ、親切なイスラエル人の治療を受けました。父親は一年間集中治療室にいましたが、奇跡的に治りました。イスラエル人によって銃撃され、イスラエル人の医師によっていのちを救われました。
 「私は、この出来事を忘れることはできませんが、他人をゆるすことはできます。広島と長崎を訪れて、とても感動したことは、人々が原爆を落としたアメリカを憎むことなく、ゆるしていることです。『他人をゆるす』ことがどんなに大事かを今まで以上に知ることができました。」 

 もう一人は広島から参加した高校一年生の日本の女子高校生。
 プロジェクトを終わっての感想です。
 「今までより他の人の意見を受けとめることができるようになり、自分の幅が広くなり、成長したと思います。
 小学生の頃は、(心の容量は)紙コップくらいで、中学生になり風呂の洗面器、そして中学生の時にオーストラリアでの体験によって風呂桶くらいになりました。今は、プロジェクトの経験で、世界基準の25メートルプールになりました。
 最終的には、太平洋をめざしたいです。」

 イスラエル・パレスチナ・日本の高校生たちが、「出会いと対話」の旅を通じて確かめ合った信頼と友情によって蒔かれた「平和の種子」が着実に芽を出し、花を咲かせることを信じています。


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