平和の使徒推進室室長の部屋 | |||
「一番電車」が走った! 今年、広島は被爆60周年という節目の年を過ごしています。 被爆からわずか三日後の八月九日には、焼け野が原をチンチン電車が走ったのです。己斐〜西天満町間の一・数キロを単線で折り返し運転するだけでしたが、奇跡的な復旧でした。
60年後の今の広島は、チンチン電車の町として知られています。愛好家の間では「動く路面電車の博物館」と呼ばれ人気を博しています。色も形もさまざまな電車が町の真ん中を走っています。
1945年8月6日午前8時15分、被爆した電車は70両。その運転士と車掌のおよそ7割が14〜17歳の女学生だったそうです。 広島県生まれのテレビディレクター堀川恵子さんとフリージャーナリスト小笠原信之さんが、この少女たちの原爆秘史ともいうべき「チンチン電車と女学生 1945年8月6日・ヒロシマ」(日本評論社)を今夏出版されました。 (この文は、前掲の「チンチン電車と女学生」を参考にさせていただきました。) |
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