平和の使徒推進室室長の部屋 | |||
わたしの選ぶ断食とは――四旬節の心を生きる 「復活祭の準備の期間を四旬節といいます。復活徹夜祭で洗礼を受ける洗礼志願者の最終的な準備期間であり、またすべての信者が祈りと犠牲と愛の行いをもって、主の復活を迎える準備をする期間でもあります。 今年の「灰の水曜日」は3月1日で、この日から四旬節が始まります。 「葦のように頭を垂れ、粗布を敷き、灰をまくこと 「何故あなたはわたしたちの断食を顧みず、苦行しても認めてくださらなかったのか。」 「わたしの選ぶ断食とはこれではないか。 本田哲郎神父さんは、「イザヤ書」のこの箇所を次のように読んでいます。 「断食とは、神との一致を求める行為であり、神の在り方に自分を近づけていく上で、妨げとなることを断つことであるのに、神の望みとは裏腹なことを並行して行っている人々に対して、神は果たすべきことを果たしなさいと命じられます。 今年の四旬節が、神の好まれる断食、つまり、社会正義の実践と福祉の活動をどんな小さなことでも実行する挑戦と喜びの季節となりますように。 「従来、社会一般には、弱者に対する福祉的な対応は多少意識的になされて来ましたが、彼らの人権を尊重し、守るという視点に立った正義の面からの対応が、一部の例外を除いて、ほとんどなされていないように思われます。福祉的な対応は、そのつもりがなくても、憐れみや同情から出る“施し”になってしまいがちです。福祉活動だけが先走って活発になればなるほど、与える側ともらう側というおかしな位置関係ができてしまうものです。むしろ、弱者の人権尊重を主眼とした社会正義のための活動と戦いの中にこそ、福祉は位置づけられるべきものと言えるでしょう。」(3) (1)「カトリック教会の教え」カトリック中央協議会207頁 |
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