平和の使徒推進室室長の部屋 | |||
「静かに歩いてつかあさい」 水野潤一さんの「静かに歩いてつかあさい」という詩の冒頭のことばです。 大田川のデルタの上に立つ広島の町は、59年前、ほんとうに大きな墓場となったのでした。 今年、被爆直後に負傷者一万人以上が運ばれたとされる広島港の沖に浮かぶ似島で、85体の遺骨と遺品65点が見つかりました。 似島で見つかった原爆死没者の遺品の中に「内谷」と刻まれたプレート(縦4.5センチ、横3センチ)がありました。それは、当時15歳の広島女子商業学校二年生だった内谷節子さんのプレートではないかと現在77歳のお兄さんが名乗り出られ、確認されました。 「そりゃ、ずい分兵隊さんで行った人が多いですけど、そういう人は心して別れをしてるでしょ、お互いにね。これが最後かもわからん、いう思いがありますよね。あの日に広島市内であんな目に遭った人は皆、それこそ日常だからね、何にもこと改めてね、この食事が、この出会いが最後とは思わんですからね。それでもう、一生会えなくなって、どこにおるかもわからんようなってるしね・・・・・」(“「原爆の絵」と出会う”直野章子・岩波ブックレット) 似島の発掘調査の結果を想う時、「あの日」は、決して過去の時ではなく、今も続いている現在なのです。他にも多くの「内谷」さんが存在しています。 「ほいじゃけん 水野潤一さんの詩の結びのことばです。 |
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