第49回 鶴島巡礼 2017/10/09(月・祝)

 
 
 今年も浦上キリシタン流配の地 鶴島(岡山県備前市日生沖の瀬戸内海に浮かぶ孤島)で岡山教会主催により殉教祭が開催された。
▼鶴島へ/少し汗ばむくらいの素晴らしい巡礼日、出発の日生港には岡山教会からの40キロ徹夜徒歩巡礼の方たちを含め270名程が集合し、朝9時半過ぎから鶴島にわたり、殉教祭(野外ミサ)に与かった。スメット神父(88才)もお元気に参加して下さった。
今年は白浜司教様が初めて参加して下さり、その話を聞きつけた各地の方が大勢参加して下さった。「私は雨男だから…」と天候を心配されていた司教様。海を見下ろす地に育った司教様は、この鶴島をとても楽しまれていた。例年にない多人数の参加により、いつもの大型船に加え小型フェリーも動員し島に渡った。海辺でのオリエンテイションの後、若い神父達に担がれた十字架を先頭に、列をなしてロザリオを祈りながら殉教者墓地まで進んだ。
▼殉教祭(野外ミサ)/白浜司教様の司式で、他16人の司祭とお一人の助祭が加わっての共同司式により野外ミサが行なわれた。
・山根神父(津和野教会)の説教/同じ流配の地、津和野の乙女峠祭り参加へのお礼もこめて参加され、浦上の「旅の話」を資料に流配者の生活についてお話し下さった。
ミサを終え、教区内全48箇所の「教会スタンプラリー」を終えた岡山の方(29番)と水島の方(30番)が司教様から認定書をいただいた。
▼交流会/それぞれ海岸や船内での食事の後、海辺で交流会が行なわれ、巡礼団長から参加の教会・修道会等が紹介された。(「各種データ」参照)
・肥塚神父の話…2023年の教区創立百周年に向かって教会のチャレンジを進めています。それと並行して、私たちは来年の教区内へのキリシタン流配150年へ向かって、3年後の鶴島流配150年へ向かって進みます。
・白浜司教様から…参加者にお礼の言葉の後、「殉教者の代表としての津和野殉教者の列福申請が可能か、来年7月の司教総会に諮っていく予定。それには各地の殉教祭の盛り上がりも大切です」とのお話があった。
・交流会を終え、日生港へ…再び会えた喜び、初めて出会う方との交流、参加して良かったとのそれぞれの島での思いを胸に、次回の鶴島巡礼での再会を願って帰路についた。準備から片付けまでご協力頂いたスタッフその他の方々に感謝します。
▼浦上キリシタン流配150年/来年5月の乙女峠祭りから始まり、2023年(教区創立百周年)までの5年間の教区の取組み。西日本の各地に流された方々が長崎に帰られるまでの5年間の苦難を偲びます。鶴島巡礼を含む今後の行事に、全国から多数の方々の参加が有る様にと祈っています。なお、岡山への第2次流配は1870年1月5日長崎発~21日頃岡山着。その年の10月9日鶴島送り。……そして1873年5月7日長崎着。
▼鶴島への旅(40㌔徒歩巡礼)/8日18時半聖堂に集まり出立の祈りの後、後藤神父が徹夜巡礼についてお話、日生港に向け出発。
健脚ぞろいで、ほぼ全員完歩。最後の10㌔は各々祈りを連祷しながら一歩一歩踏みしめていた。一行を迎えてくれた瀬戸の曙は心の底から清々しく感じられた。
21名の参加で、内中学生2名、最長老は日蓮宗徒の77才の方。他に神父、ブラザー、シスター、そして信徒が11名と多彩な参加者でした。東京~長崎までの広い地域から来られ、リピーターも増えた。また、昨年癌で来られなかったシスターは、彼女の信仰と昨年の参加者による妙なる祈りで病を克服し、今年は参加出来た。最長老の方は、同時期に鶴島に流されていた日蓮宗不受不施派の指導者の記念碑に涙ぐんでおられ、完歩した中学生の2人は、新聞の取材を元気に受けていた。感謝。
 
 
各種データ
★参加神父様方…広島教区/白浜司教、岡山/瀧井、ロイ、ボルドン、玉野/トゥアン、倉吉/朴(パク)、津和野/山根、松江/後藤、光/肥塚、幟/服部、観音町/野中、赤穂/松永、姫路/イズコ、赤窄(あかさこ)、スメット、加古川/赤波江、夙川/サック、高松教区/谷口助祭、カトリック新聞/松浦(計19人)
★参加教会等(神父以外)…【岡山県】岡山・岡山南・玉野・倉敷・玉島・水島【鳥取県】倉吉【島根県】松江・津和野【広島県】福山・幟【兵庫県】赤穂・姫路・夙川・仁川・加古川・仁豊野・宝塚【山口県】光【東京都】碑文谷【長崎県】浦上(岩永さん他)【修道会】・お告げのマリア修道会・イエスのカリタス修道会三原・サンパウロ大阪・純心聖母小野田・神の御摂理相生【他】一般
★参加人数…全体271人(徒歩巡礼者21人含む)
内ベトナム人の方々も姫路から子供含め多数参加。又徒歩巡礼者全員(内中学生2人)鶴島に渡る。 

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