司教協議会会長 カテケージス 「いのちを守る聖ヨセフ」

司教協議会会長 カテケージス

「いのちを守る聖ヨセフ」

昨年12月8日、教皇フランシスコは、教皇ピオ九世が聖ヨセフを「カトリック教会の保護者」と宣言されてから150年になるのを記念して、使徒的書簡『父の心で』を発表され、2020年12月8日~2021年12月8日を「ヨセフ年」とすると宣言されました。2014年からミサ第2~4奉献文の取り次ぎの祈りに聖ヨセフの名が加えられたことは、「ヨセフ年」の準備にもなったようです。

なお、教皇ピオ九世に次いで、教皇ピオ十二世は聖ヨセフを「労働者の保護者」(1955年5月1日)、聖ヨハネ・パウロ二世教皇は「購い主の守護者」(1989年8月5日)とそれぞれ宣言されました。そして信者たちの間では「よい最期の保護者」として慕われてきました。また、『カトリック聖歌集』(1966年)の中の聖ヨセフの4つの聖歌には「守る」という言葉が共通してみられます。

教皇様はヨセフの父親像の特徴を7つ挙げておられますが、ここでは「いのちを守る聖ヨセフ」の姿に近づいてみたいと思います。

  1. マリアの尊厳を守るヨセフ

ヨセフはマリアと婚約していましたので、律法の上で二人は夫婦同様に見なされていました。ところが、ヨセフは身に覚えがないのに、マリアが子を宿していることを知りました(マタイ1・18)。マリア自身は、天使のお告げで、聖霊の働きによって子を産むと言われましたので、それを信じて受け入れました(ルカ1・26-38)が、ヨセフはそのことをまだ知らなかったようです。もし婚約者のマリアがほかの男性と関係を持ったのであれば、姦通罪を犯したことになり、ヨセフは、律法に従って、マリアと相手の男性を訴えて、死刑を求刑することもできました(レビ記20・10; 申命記22・22-24参照)。それが「正しい人」のすることでした。「正しい人」とは、何よりも律法を忠実に守る人のことだったからです。実際ヨセフは、息子イエスの割礼と奉献、過越祭のエルサレム巡礼などの掟を守る、正しい人でした。しかし彼の正しさは、単に律法を忠実に守ることだけではなく、それ以上に人の尊厳を守ることを優先させることにありました。ヨセフは、マリアを信頼し、尊敬していたので、マリアの女性としての尊厳を守ろうとしたのです。ですから、苦しみ悩んだ末であったと想像されますが、「マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心」(マタイ1・19)しました。そこには婚約者マリアに対する愛に満ちた気遣いがありました。彼の正しさは真のやさしさにあったと言えます。ヨセフの行動は、姦通の女を赦し(ヨハネ8・11)、安息日の掟の遵守より病人の癒やしを優先させたイエスの姿(ルカ13・10-17; 14・1-6; ヨハネ5・1-18; 9・1-34)と重なります。幸い、ヨセフは、マリアが聖霊によって身ごもっていると神から知らされてひとまず安どすることができました。

  1. 神のお望みを実行する人

ヨセフは、婚約中にみごもったマリアのことで大いに戸惑い、自分の家族や親類、友人たちからどんな非難や中傷を受けるかわからない状況の中で、「恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである」という主のことばを受けました。しかしそれに対して何の説明も求めることなく、言われたとおりに実行しました(マタイ1・20-24)。婚約者の違反を訴えて求刑することは回避したものの、神のお望みは、恐れずにマリアを妻として迎えることでした。神はヨセフのやさしさを救いの計画の中で生かすことを望まれたのです。

ベツレヘムでイエスが生まれた後、主のみ使いから、エジプトに逃げるように、そしてその後イスラエルに戻るように言われた時も、それを神の望みとして受け入れ、何の疑いもなくすぐに実行しました(マタイ2・13-23)。神に全幅の信頼をおいていたからです。神に信頼して実行することこそ重要なのです。

このヨセフの信仰は、アブラハムの信仰に似ています。アブラハムも、故郷を去って神が示す地に行くように言われたとき(創世記12・1-6)、高齢と不妊の夫婦に子どもが生まれると告げられたとき(15・4-6; 18・10-15)、その一人息子をささげよと命じられたとき(22・1-13)、一言も疑問や不平の言葉を発することなく神のことばどおりに実行しました。

もちろん、マリアと同様、ヨセフもイエスについてのシメオンの話に驚いたり(ルカ2・28-33)、神殿での12歳のイエスの言葉の意味がわからなかったりしました(2・50)。それでも、イエスとマリアを中心にして生活を切り開いていきました。

  1. 苦境の中でイエスとマリアのいのちを守るヨセフ

すでに懐胎していたマリアを訴えず、妻として受け入れることで、ヨセフはマリアとおなかの子のいのちを守りました。また、ローマ皇帝の命令による住民登録のためナザレからダビデの町ベツレヘムへ旅をしたとき(ルカ2・1-5)、身重のマリアとおなかの子を気遣いながら、危険に満ちた約140kmの道中、身を挺して彼らを守りました。特に、イエスの誕生を異常に警戒したヘロデ大王がイエスを殺すために「ベツレヘム周辺とその一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた」(マタイ2・16)とき、ヨセフは大きな不安と恐れを抱いたにちがいありません。そのとき、何をなすべきかは主が知らせてくださいましたが、「エジプトに逃げる」ということはまた勇気のいることだったはずです。エジプトに行く途中には広大な荒れ野が続き、野獣や盗賊の危険が伴いました(申命記1・19; 2・7; 詩編107・4-5参照)。ヨセフは、この厳しい難民生活の間もお二人を守り通しました。

イエス誕生のときの嬰児虐殺の出来事(マタイ2・16-18)は、モーセの誕生物語を思い起こさせます。モーセが生まれたのは、ヨセフを知らない、時のエジプト王が、イスラエル人の増強を恐れて、生まれる男子をすべて殺害するよう命じたときでした。幼子は母親と王女の機転のおかげで救われ、モーセと名づけられ、後にイスラエルの民をエジプトから救い出すという大役を果たすことになりました(出エジプト記2・1-10; 3・7-10参照)。

一方、エジプトはかつて兄弟に売られた太祖ヨセフが神の恵みによって苦境を乗り越え、王に次ぐ地位について国民と親兄弟を含む近隣の人々のいのちを救った地です(創世記37~50)。彼は、イスラエルの民がエジプトに移住し、数百年後に、その隷属状態から解放されて神の民とされ、約束の地に向かう大きな出来事のカギとなる人だったと言えます。

太祖ヨセフもモーセもイエスをあらかじめ表した人物です。幼子イエスのエジプト避難とイスラエル帰還は新しい民の過越を象徴しています。イエスの父ヨセフはいくらかその過越にあずかりました。イエスは、後に自らのいのちを人間に奪われ、否、人類を救うために差し出すことになります。

「子どもとその母親」を守り続けたヨセフは、真に強い人でした。強い人はつねに弱者を守り支え助けます。「強い者は、強くない者の弱さを担うべき」(ローマ15・1)ですとパウロも教えています。悪に打ち勝つ者が強いのであって、真に強い人は弱い人を虐げたりいじめたりしません。助けを求めて叫ぶ貧しい人を救い、弱い人、乏しい人を憐れみ、不法に虐げる者から乏しい人の命を解放するのが真の王です(詩編72・12-14)。人間の目には弱くても、神の恵みによって強い人こそ真に強いのです(二コリント12・10; 13・3-4; エフェソ6・10参照)。ヨセフは「身分の低い」マリア(ルカ1・48)と、罪以外は弱さを身にまとわれたイエス(ヘブライ人への手紙2・14-18; 5・2)を守る真に強い人でもありました。

  1. 目立たずとも、自分の役割を守る人

新約聖書には、ヨセフのことばは一言も記録されていません。イエス・キリストの系図は、アブラハムから始まり、「マリアの夫ヨセフ」まで、すべて父親が息子を「もうけた」と記されています。しかし「ヨセフはイエスをもうけた」ではなく、「このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」(マタイ1・16)と記されています。ヨセフは、あたかも父親の役割さえも果たしていなかったかのように書かれています。それは、イエスが神の独り子であって、ヨセフの実の子ではなかったからです。しかし、イエスには法の上でも社会的にも父親が必要でした。そのような父親の立場を受け入れることはそれほど簡単なことではなかったでしょう。それでも生まれた子どもをイエスと名付けて、自分の子として認知するという父親の務めを果たし、養い育てました。しかし常に「マリアとその子ども」が中心でした。主人公は彼らでした。

イエスは人々から「ヨセフの息子」(ルカ3・23; 4・22; ヨハネ1・45; 6・42)とか「大工の息子」(マタイ13・55)と言われていました[1]。イエスが公に宣教を始めたのは30歳くらいでした(ルカ3・23参照)ので、それまでどれくらいの間かは正確にわかりませんが、大工の仕事もヨセフと一緒にされたはずです。ナザレの人々から「この人は大工ではないか」(マルコ6・3)と言われているからです[2]。しかし「ヨセフの子」とか「大工の息子」という呼び方にはいくらか軽蔑や差別の響きがあったようです。祭司やレビ人などの聖職者、長老などの貴族、律法学者などが上級階級で、商人、職人(大工、麻漉(あさす)き工、天幕づくり[3])、日雇い労働者は平民で下層階級でした。彼らの大部分、そして多くの者は、裕福でない階層に属していました[4]。実際、主の奉献のときの献げ物から見て(ルカ2・24; レビ記12・8)、ヨセフの家庭は経済的に慎ましかったのです。

新型コロナウイルス感染拡大の中で、「エッセンシャルワーカー」が再認識されつつあります。それは「人々の生活の維持に必要不可欠な職業についている方々」のことです。大工の仕事もその一つと言えるでしょう。ヨセフは自分の仕事に誇りを持ち、イエスと一緒に仕事をすることを幸せに感じていたにちがいありません。何と言っても、イエスとマリアの生活のため、とくにイエスの宣教活動の準備のためになくてはならない大黒柱の役割を果たしました。ヨセフは、わたしたちに、どんなに小さな仕事であっても、人々のために必要だと確信して社会の中での自分の役割を守り、それを誠実に果たすことが大切だと教えているのではないでしょうか。

ヨセフは、いつの間にか聖書の中から名前も姿も消えていて、人々の記憶にも残らなかったかのようです。神とその独り子、そしてその母に生涯仕えた人でした。

  1. 取り次ぎを願う

 聖ヨセフに対する信心は昔から盛んでした。わたしたちは、祈祷書にある聖ヨセフの連願や聖ヨセフに対する祈りをもって、聖ヨセフの取り次ぎを願うこともできれば、それぞれ自分の言葉で願うこともできます。あるいは、神は、太祖ヨセフや聖ヨセフの場合のように、夢を通して語りかけ、ご自分の望みを果たされることがありますが、「眠る聖ヨセフのご像」(写真)の下に願いごとを書いた紙を敷いて、聖ヨセフの取り次ぎを願う信心もあります。

(髙見三明 所蔵・撮影)

2021年3月4日

日本カトリック司教協議会 会長

カトリック長崎大司教 ヨセフ髙見 三明

[1] ルカ3・23で「イエスはヨセフの息子と思われていた」と書かれているのは、ヨセフが実の父親ではない、ということを暗示している。

[2] ヨセフがイエスの宣教活動後も健在であったことを推測させる記述がある。① ルカ3・23:「イエスが宣教をはじめられたときはおよそ三十歳であった。イエスはヨセフの子と思われていた。」② ヨハネ6・42:「これはヨセフの息子イエスではないか。我々はその父も母も知っている。」ただし、マルコ6・3の「この人は、大工ではないか。マリアの息子ではないか」という言い方は、ヨセフはすでに亡くなっていたことを暗示する。いずれにせよ、当時、結婚する男女は13~19歳と定められていたので、ヨセフが老人の姿で描かれているのには歴史的根拠はない。ただし、おそらく50歳になる前に亡くなったであろう、という説もある(Cf. F.L. FILAS, « JOSEPH, ST. », in : New Catholic Encyclopedia, Second Edition, 7, Washington D.C., 2003, p. 1035)。

[3] パウロは生活のために天幕づくりをしていた(使徒言行録18・3)。

[4] Cf. Joachim Jeremias, Jérusalem au temps de Jésus, Paris : Cerf, 1980, pp. 40-41, 315-317.

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