浦上キリシタン流配150年ニュースレターNo.12

流配地巡礼 京都教区奈良ブロック 和歌山史跡めぐりへ(6月)

 
 四番崩れの流配地は西日本各地22ヵ所に跨っています。下記はその内の流配地・和歌山の様子です。私たち広島教区の信徒にとって、殆ど馴染みの無い所ですが、同じ流された方々に思いを寄せて祈りましょう。
 6月29日(土)奈良ブロック流配実行委員会は各教会の委員を中心にバスを借り切り、和歌山県屋形町教会の史跡を巡りました。
 和歌山流配 明治2年(1869)12 月、3,300 人余りが 22 ヶ所に強制移送(流配)され郡山藩と同様、和歌山にも流配されました。「異宗門徒人員帳」によると和歌山へは 281 人・65 家族が流配された。預かり信徒を家族分散して収容する政府方針に従い、口六郡、東牟婁、西牟婁の八郡や奥熊野などに分けられて預けられた。100 日間だけのわずかな食糧給付があったが、あとは自活せよとのことであった。
 明治3年(1870)6 月下旬、県内分散された信徒は再び和歌山の岩橋(いわせ)の寺に集められ、15 才以上の労働に耐えられるものは日方(塩浜・開拓地)へ、老人・幼児・病弱な者は太田八丁の馬小屋へと大変な生活だった。
 

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