2・11「建国記念の日」を問う広島集会

太田昌国さん
 
 2月11日(月)、広島カトリック会館多目的ホールで『「建国記念の日」を問う広島集会』が開かれた。今年は人文書の企画・編集に関わる傍ら、自らも、日本と世界の政治・社会・歴史・文化に関わる発言を続けてこられてきた太田昌国さんに『言葉の嘘にだまされないということ ~天皇「代替わり」をめぐる言論の頽廃について』と題して講演していただいた。
 太田さんは最初に日本の民主主義がこれほどまでに壊されてきた原因を、戦後日本が天皇制と日米関係の矛盾を解決しようと取り組んでこなかった結果と捉え、その状態を許してきた私たち民衆の側の問題点についても提起された。そして今日の集会では天皇制の問題について話された。そもそも戦後発布された新憲法は第一条から第八条までの天皇条項と第九条以降の内容が両立しうるのか、人間の平等をうたった条項と天皇制がどう整合性をもつのかなど、憲法がもつ根本的な問題を指摘された。そして、その天皇制が民衆の中にくつがえすことのできない日常感覚になっており、そのことを考えることを怠ってきたことこそ問題であると提起された。
 また、天皇制の問題を私たち民衆が考えようとしない原因の一つに、メディアの問題が大きいと話された。そもそも、かつての昭和天皇は天皇の戦争責任をどう考えてきたのか、昭和天皇が侍従長に語った言葉から分析されたが、天皇制を守ることに苦心している姿が大きいと語られた。大元帥として遂行してきた太平洋戦争で亡くなった2千万人のアジアの民衆、約3百万人の日本の民衆のことをどう思ったのか、昭和天皇には真摯に戦争責任に向き合う姿勢は感じられないと話された。また、アメリカを中心とする連合軍がなぜ、天皇の戦争責任を裁かなかったのかということについて、太田さんは民衆にどこまでも浸透している天皇制を占領統治のために利用しようと考えたからであると話され、戦勝国による訴追を免れた後は、沖縄の占領統治を望んだことなど天皇が戦後社会の形成に能動的に関わったことも指摘された
 最後に太田さんは今の天皇のことについて触れられた。多くの人から人物的に良い人だという声をよく聞くが、天皇は憲法に規定され、また皇室典範によって生活が規定されている存在である。やはり民主主義社会とは相容れない存在である。「この度の代替わりの儀式に公費を使うのはいかがなものか・・・」というような皇族の発言もあったが、そもそも内廷費、宮廷費などすべて公費負担である。そのような矛盾があるにもかかわらず、民衆はその矛盾を語ろうとはしない。その民衆の問題について『自発的隷従論』(エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ)をあげ、君主制は民主制の自発的隷従によって完成すると話され、そのことを認識することの必要性を話された。また、現在の日本の政治家や経営者の無責任体制の根源はまさに戦後、昭和天皇の戦争責任を追及しなかったことによるところも大きいと結ばれた。
 講演の後の質疑応答の時間には、太田さんの内容に共感を示す感想が、数人から出された。カトリック、プロテスタント、一般市民ら約80名が参加し、天皇「代替わり」の報道などに関わって改めて考えるべき視点が共有された学習の場となった。
 (文責 カトリック正義と平和広島協議会 神垣 栄)

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